三国湊から 「和の魂」を 繋ぎ伝える
「石」の持つ不変・不動からお墓には昔から石が用いられてきました。 仏教伝来の前 大昔から人間は亡くなった人を「葬る」という行為してきました。 その上で目印の為に木では腐食することから、不変・不動の『石』を置いたのではないかといわれています。
日本における最初の墓石は出雲神話におけるイザナギ・イザナミの話に出てくる千引岩といわれています。千引岩であの世との出入り口を塞ぎ、千引石を挟んで決別を渡すシーンは、お墓参りでの「亡き人との対話」の原点といえます。
供養として石塔が用いられるようになったのは鎌倉時代からといわれています。鎌倉時代のお墓は五輪塔が主流で、さらに日本の諸国を回遊した“聖”という仏教僧達が、手で持てるほどの小さな五輪塔を庶民に広めて、亡くなった方への供養をしたともいわれています。
江戸時代初期には お墓が庶民にも普及し、1人1基の五輪塔型の墓石が一般的でしたが、明治民法では、「家制度」を定着させる為、お墓は家族単位、一族単位になり、現在のような墓石の下に納骨室(カロート)を設けて、その上に墓石を建てる形式が一般化しました。台石を何段か積み、その上に縦長の石を乗せ、家名などを彫り込む墓石の形が基本となってきました。
この形の墓石には多くの石材が必要であり、死生観も変化し、幅の広い洋型墓石も増えてきました。 最近では、おしゃれにデザインする墓石なども増え、お墓の形も様々です。
お墓は亡くなった方の遺骨を納め、故人を弔う場所ですが、今を生きる私達は、 命をつないでくれたご先祖様に感謝し、魂の会話をするところであります。
参考文献 : 日本人のお墓 小畠宏充監督・返著 日本石材産業協会発行